[PR]就職支援大手のマイナビが陸上選手を採用
2018年のブレイクで注目され始めた渡邉ひかる
自身で示す“デュアルキャリア”での成長



 昨年の日本選手権女子200mでちょっとしたサプライズがあった。前年までこれといった実績のない渡邉ひかる(マイナビ。当時駿河台大4年)が24秒06の自己新で5位に入賞したのである。シンデレラストーリーという言葉も使いたくなるが、駿河台大・邑木隆二監督は「出すべくして出した結果」と強調する。全国大会準決勝レベルだった高校時代から、大学3年時の自己改革で大きく成長し、4年時には日本代表も意識するようになった。その渡邉が今春、就職支援大手の株式会社マイナビに入社。同社の提唱する“デュアルキャリア”の実践例となるべく、会社のサポートを受けながら一歩一歩、競技と社会人キャリアの双方をアップさせていく。

自身の道を切り拓いた2018年シーズン
 渡邉は昨年6月の日本選手権を「ベストの走りができた」と振り返る。
「ビデオを見たら直線に入るところまでは、日本記録保持者の福島(千里・セイコー)さんに次いで2番目を走ることができていました。持ち味である前半のスピードが出せたと思います。力を上手く使うことができて、楽にスピードを出せた感覚がありました。日本選手権は全員が日本一を目指している特別な場所です。そこでやるべきことができれば3位以内も狙うことができる。そのポジションまで自分が上がって来たことで、支えてくれた周りの方たちに少しは恩返しができました」
 大学最終シーズン。それ以前から渡邉は通常の就職ではなく、競技を続ける前提で就職先を探そうと考えていた。日本選手権の結果でその意思が強くなり、就職先を探す過程でマイナビとのつながりができた。日本選手権での会心の走りは、渡邉の進路にも影響を与えるほど大きなことだった。
 ブレイクの予兆はあった。5月の静岡国際200 mで5位に食い込んでいたのだ。
静岡国際は、国内トップ選手の8割以上が出場するグランプリ・プレミア大会である。100 mでも4月の出雲陸上(グランプリ)で3位、その翌週の織田記念(グランプリ・プレミア)は、B決勝ではあったが4位に入っていた。
「昨年グランプリ大会に出られるようになり、そこで日本のトップの人たちと一緒に走ったことで、上で戦うことができる自信が芽生え始めました」
 では、大学4年時のグランプリで活躍できたのは、どういった変化が彼女にあったからなのか。
「2年生のシーズンが全然走れなくて、言われたことだけをやっていてもダメなんだと気づいたことが大きかったと思います。何を変えたらいいのか、色んな方の話を聞きましたし、自分でも一生懸命に考えました。その冬から競技に取り組む気持ちが大きく変わって、3年生から記録が伸び始めたんです」
 3年生シーズン終了後は、さらに積極的な取り組みをして、4年時の一連のグランプリ大会の好成績、そして日本選手権5位入賞とつなげていった。
 渡邉は自己改革を成し遂げたことで、自身の道を切り拓いた選手だった。

4月からマイナビのユニフォームでレースに出場し始めた渡邉だが、故障の影響でいまひとつの成績

マイナビでの仕事内容は?
 渡邉が入社したマイナビは、アスリートの“デュアルキャリア”を提唱している。競技に打ち込みながら、社会人としてのキャリアも並行して積んでいく競技スタイル・生き方である。
 競技経験を生かす職に就くことができる一握りの選手を除き、多くのアスリートは引退後の“セカンドキャリア”をゼロからスタートさせなければいけない。その形でも成功したケースはあるが、 "セカンドキャリア"で苦しむアスリートは非常に多い傾向にある。
 “デュアルキャリア”のアスリートはただ支援されるだけでなく、(メンタル面も含めた)自身の特性を生かせる仕事に就き、引退後は現役の間に身につけたスキルを活用しスムーズな再スタートを切ることができる。それは企業にとってもプラスとなること。企業と選手の両者にメリットが生じるその状況を、マイナビが仲介して実現させていく。
 渡邉は“デュアルキャリア”を推進する<アスリートキャリア事業室アスリートキャリア事業課>に配属された。入社して4カ月。日本選手権で入賞した競技キャリアと比べれば、社会人としてのキャリアはまだスタートさせたばかりだ。
 現時点でのおもな業務は、“デュアルキャリア”採用を希望して登録した求職者(アスリート)への連絡と、SNSを使ったプロモーション活動が多い。求職者は学生アスリートと、現在すでに働きながら競技をしているアスリートたち。登録はしても忙しさなどで、企業との接触がおろそかになっている求職者もいる。そういった人にメールや電話で連絡し、“デュアルキャリア”の道を後押しする。
「企業の採用担当者との交渉もこれからおこなっていく予定ですが、先輩社員が電話で話している内容を聞いていると、私の経験も役立ちそうなケースもあります。簡単なことではありませんが、アスリートと企業の架け橋として、いずれはやってみたい仕事です」
 自身も“デュアルキャリア”のモデルケースとして、競技と社会人キャリアを並行してステップアップさせていくことも渡邉の仕事である。
「仕事や社会のことはまだ知らないことばかりですが、上司や先輩社員から教えてもらったり、自分から知ろうと勉強したりしています。すごく充実していて、自分でも成長していると感じられる日々を送っています」
 大学2年のシーズン終了後に、競技に積極的な姿勢で向き合い始めた時と似た感覚を、渡邉は社会人として経験し始めている。


7月のある日に行われたアスリート事業課の打ち合わせの様子

家族や指導者に恵まれての成長
 日本一を争うレースを走るようになった渡邉だが、「小中学校ではめちゃくちゃ足が遅い子だった」と振り返る。中学校では吹奏楽部に入りたいと考えていたが、両親の希望で陸上部に入った。3学年上の兄がインターハイ全国大会で入賞する選手で、妹にも期待がかけられていたようだ。
 中学で少しずつ強くなり、3年時には全国大会にも出場したことで、兄も通った富士市立高から勧誘された。富士市立高の前身は吉原商高で、男子400 m日本記録保持者の高野進(現東海大短距離監督)らが巣立った強豪高だ。
 しかし渡邉は高校入学後も「陸上競技は高校で終わり」と考えて走っていた。それでも徐々に結果が出始めて、3年時にはインターハイの準決勝まで進んだ。
「ちょっとは陸上を好きになっていましたが、それ以上の目標はありませんでした。大学の大会って何があるの? くらいの意識しかありませんでしたね」
 両親の勧めと兄の存在が、高校までの走るモチベーションだった。
 そんな渡邉にも注目していた大学の監督がいた。駿河台大の邑木隆二監督で、2001年のエドモントン世界陸上4×400mRに出場した元代表選手の肩書きを持つ指導者だ。「高校1、2年の頃からずっと見ていました」という。
「伸びやかな走りに将来性を感じました。今年の世界リレーに出場した若林康太(駿河台大4年)もそうなのですが、小さな動きで走るタイプより、大きな走りをする選手の方が僕は力になれる」
 高校で陸上競技を終わるつもりだった渡邉は、邑木監督の熱意にほだされるような形で駿河台大へ進学した。


駿河台大での練習

自分の意思で走る+“デュアルキャリア”
 大学2年時までの渡邉は、高校までと大きく変わらず、競技へ取り組む主体性はいまひとつの選手だった。だがそのスタンスでは、成長は続かなかった。
 邑木監督は学生に走る練習メニューや動きづくりのためのメニューは与えるし、動きのアドバイスも選手のレベルに合わせて積極的にしている。だが補強やウエイトトレーニング、体幹トレーニングなどは選手の自主性に任せている。
「今日はウエイトやらないの?」と問いかけるなど、選手に必要と思える部分のアドバイスはする。だが、それをやるかやらないかは選手が決める。強制的にやらせないのは、選手が練習の意味を自分で考えて行わなければ効果は期待できないからだ。
 大学2年時までの渡邉は、言われたメニューだけを行っていた。邑木監督から「ウエイトをやれば」と言われても、疲れていたらほとんど行わなかったという。
 渡邉が競技へ取り組むスタンスを変えたのは、以上のような駿河台大の強化システムの影響も大きかった。渡邉は自身の変化を次のように話す。
「この走りをしたいのならこの練習、その練習をするためにはここの筋力、と考えられるようになりました。走りの大きさは私の長所ではありますが、脚が流れる(キック後の引きつけが遅い)のが欠点です。そこを改善するための動きづくりや筋力トレーニングに取り組みました。走るメニューも漠然と走るのではなく、自分に必要なポイントを抑えて走る。補強も瞬発的な力を出すにはこれだよね、とスタッフやチームメイトと話し合ってトレーニングを行うことが、ある意味楽しく感じられるようになったんです」
 家族や指導者がいるから走るのではなく、自分の意思で走る。その変化が渡邉を日本トップレベルに成長させた。大学2年時までは目の前の大会のことしか考えられなかったが、3年時以降は中・長期的な強化プランを立て、日本代表を目指す選手へと成長した。
 今季は3〜4月に故障が続いたため、日本選手権は100 m、200 mとも予選落ちに終わった。だが渡邉には、マイナビで働き、駿河台大を拠点にトレーニングを行う今の環境なら、さらに成長できる手応えがある。
「邑木監督は何でも話せる監督です。(頼るのではなく)私の意見や質問を投げかけると、それに適切なアドバイスを返してくれる。職場の先輩たちは、皆さんスポーツ経験を持っていて、私のやっていることを理解してくれます。今年の日本選手権は苦しいとわかっていても、皆さん職場でテレビを見ながら応援してくれたそうです。会社は活動費や活動時間を提供してくれますが、メンタル面のサポートも最高の環境なんです」
 自分の意思で走る姿勢に“デュアルキャリア”の環境が加わった渡邉。アスリートの生き方という点においても、スポーツ界の強化システムという点においても、渡邉の今後の成長が注目されていく。

アスリート事業課のメンバーたちとともに自身の"デュアルキャリア"をスタートさせた


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